小川正治さんの墓参と学習会
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「小川正治さんの墓参と学習会」
11月28日、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(国賠同盟)横手支部の主催で、再び戦争暗黒政治を許さないために企画された催しです。
みぞれ模様の寒さがこたえましたが、80歳前後の先輩たちと十文字道の駅から車のキャラバン!を組んでぶどう畑のはずれにある小川正治さんのお墓に行きました。

昭和16年〜と刻まれた墓標を、桜の古木が見守っています。
折しも、安倍政権は天皇を元首にし、戦争する国にする「秘密保護法案」・「国家NSC法案」・「集団的自衛権の行使」などを進めており、極めて危険な方向に進んでいます。
今こそ戦前の治安維持法で検挙され、27歳の若さで獄死した小川正治さんの業績と不屈性に学ぶことが大切!と思い、20人の中に加えてもらいました。
墓参の後、国賠同盟秋田県本部会長である、近江谷昭二郎氏のお話を伺いました。86歳になられても、凛と冴えわたる声で、実に詳しく調査された資料に基づき、私たち後輩に伝えてくださいます。
今日の演題は「獄死した若き指導者の小川正治さんと、県南の小作争議について」です。
大正3年生まれの小川さんは、今ご存命なら98歳。コメ所あきたの中でも、当時は県南地方だけで、小作農民が8割もいたとのこと。百町歩以上の田んぼを有する大地主も多かったそうです。ゆえに、県南では小作争議が頻繁に起きました。
11歳で奉公に出された小川さんは、小林多喜二と小樽で同僚だったという教師のもと、旺盛に勉強したといいます。おそらくその中で、社会科学の勉強を深めていったのではないか…と近江谷会長は推測されました。17歳の若さで様々な地域の農民運動を組織しその後、秋田県農民組合の執行役員にも選ばれています。
当時の活動仲間で転向した人もいるけれど、特高警察に壊滅された秋田県の共産党組織を再建してがんばった人たちを育てたのも若い小川正治さんたちだったのでした。父親が東京まで獄死した小川さんの遺体を引き取りに行った際、体中にアザができ、そこから傷になっていたそうです。
「戦争反対」と言う共産党を撲滅してしまう目的の治安維持法…これが結局は共産党員のみならず創価学会の創始者も含め、普通に暮らして「戦争は嫌だ」とつぶやく人々をも逮捕していき、隣近所で密告しあう社会をつくってしまった法律です。
一昨日自民・公明・みんなの党の強行採決で衆議院を通過した「特定秘密保護法案」は、戦前の治安維持法の復活!と、大手マスコミや自民党員の中でさえ、危惧し、廃案にしなければ大変な日本になる…と声を上げています。今日の学習会でも、秋田県選出の国会議員と秋田県出身の菅官房長官あてに抗議の声を届けることを決めました。
若い命と引き換えに日本の平和・国民の幸せを追求して頑張った小川正治さんたちの志を引き継ぐのは、今を生きる私たちですから。 |