安田原下町イキイキサロンで終戦前後の体験を語る
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「安田原下町イキイキサロンで終戦前後の体験を語る」
10月の第三水曜日、地元のイキイキサロンが開催されました。
私は「晴れて!」65歳になったので会員の仲間入りです。都合がつく限り参加して「前座」に議会の様子を報告させて頂いています。今回は、年間計画によれば温泉でゆっくりと体を休め、明日への鋭気を養うはずでしたが、なんだか皆さん移動するのがおっくうになったということで、戦後70年にあたる今年は「横手の町での戦中戦後」を語り合い、心に刻もう!というテーマになりました。
まず、図書館から関連図書を紹介してもらい、郷土史に詳しい元職員さんに講師をお願いしました。お話を聴いていくうちに皆さんの記憶がよみがえってきたようでした。
終戦の日の未明に秋田市土崎に200発もの焼夷弾が撃ち込まれ大変な惨事になったことは有名ですが、土崎の石油基地の部品を横手で造っているという情報を米軍がキャッチしたことから、横手駅前や奥羽本線の汽車などが空襲にあったのだそうです。
東京の向島小学校の子どもたちが正平寺に疎開していたことやお母さんたちが人の集まる場所に行って千人針を縫ってもらっていたことなど鮮明な思い出が語られました。横手川が頻繁に氾濫し、天皇陛下のご真影が流されたのを取り戻そうとして三栗谷さんという町長が殉職したことも聴きました。
横手市の郷土史研究会や市史編纂の担当部署では縄文時代からの流れで郷土の歴史は書かれているが、戦争に的を絞り、市民の声を集めた書物が後世のために必要ではないか!という結論になり、何等かの機会を作って民間でも、私たちの手でも綴っていこう!!と話し合いました。
地道にこつこつと頑張らなければ!

この写真は、近所のミョウガ畑で発見したミョウガの実です。この鮮やかな赤い実は、50年に一度しか見られないのだそうです。80歳を超えられた先輩方も、珍しい〜と言われていました。
真っ赤なミョウガとともに今日の「戦争にまつわる思い出語り合い」は、鮮烈に心に留めておこうと思います。
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