わらび座ミュージカル
ジパング青春記
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「わらび座ミュージカル:ジパング青春記」
4月29日、おやこ劇場のおでかけ例会に行ってきました。数年ぶりのわらび劇場にお友達の車に乗せてもらって到着!赤ちゃん連れの会員さんは、ステージが真っすぐ見える「菜の花ルーム」でゆっくり観劇するんですよ。


この物語には深い背景があって、むか〜し関ケ原の戦いから11年後の1611年12月2日慶長の大地震が起きました。領内の犠牲者は1783人〜5000人、津波の高さは20mと記録されています。歴史に残るサン・ファン・バウティスタ号は、その2年後に石巻の月の浦を出航しました。
平成の大地震から6年が経った今もなお、復興は進んでいないのに、伊達政宗は大地震直後から雇用促進→復興に着手したのでした。
〜〜このミュージカルのあらすじを紹介します〜〜
主人公は慶長の大津波でたくさんのものを失った。石巻辺りの名もなき若者。震災から2年後、荒れた農地は未だ回復せず、家族や仲間を奪われた人々の心の傷もまだ癒えていない。
そんな時に、若者や村人たちに新しい仕事が授けられる。それは太平洋を越えるための大帆船建造のための下働き。かねてより欧州との交易の機会を伺っていた伊達政宗。この震災によってその計画も中断を余儀なくされると誰もが思ったが、傷つき荒れ果てた浜辺の村々を見聞した政宗は、この苦難に打ち克つべし、逆境をこそ乗り越えるべしとの命を発し、有能な家臣・支倉常長に任務を託す。恐ろしい津波がやってきたその海に今こそ漕ぎ出していこうという大号令である。
何も知らずに木の切り出しや荷の運搬に駆り出されていた若者だったが政宗の熱い思いを知り、大計画実現のために奔走する常長ら、伊達のサムライたちの姿を目の当たりにし、或いは時に彼らと触れ合い、衝突するうちに抑えがたい思いが彼の中で膨らんでいく。
「その船に乗りたい!」多くのものを津波に奪われ、絶望の底にいたが、津波が襲ってきた、その太平洋に向かって自分も船出したい。その海の果てに、この苦しみの意味を解く、希望が待っていると思えてきたのだ。津波に飲まれて消えていった人々にもそこで再会できるような気がするのだ。船出への夢に取りつかれた若者は、何とかしてこの船に乗ろうと知恵を絞り、手を尽くし、奮闘する。果たして、若者の船出は叶うのか?そして若者はその海で何を掴むのか?・・・・この続きは、実際にミュージカルをご覧あれ!
宮城県の子どもたちみんなに観せるため、学校巡りをするそうですが、地元のわらび劇場では、11月26日が千秋楽です。私は(まわりの観劇者たちも)ハンカチなしではいられませんでした。津波に飲まれていった石巻の知人たち、そして父の実家の様子が目に焼き付いていたからです。そして役者さんたちも観劇する私たちも、今、まさに更迭された下村元復興大臣の「震災被害が東北でよかった」発言に表われる、この国の為政者に対する怒り、憤りがこの作品から息吹きをもらっていることを確信したと思います。
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